2013年4月7日日曜日

私の春休み


春休みに私はカリフォルニアに行って、おじさんの家族を訪れ「おとずれる」ました。春休みには生物学の本をたくさん読んで、ちょっとつまらなかったですよ。でもいとことロサンゼルス市に二回行って、それは面白い経験でした。いとこはいま医者で、いつでも病院にいて、忙しいです。でもお暇なとき、私達は買い物しに行って、食べに色々なレストランに行きました。食べた料理はメキシコや
フランスや日本のです。私は日本料理が大好きだから、さしみやすしやかつどんをたくさん食べました。

天気はニューヨックよりカリフォルニアの方がとてもいいと思いました。カリフォルニアの人々はフレンドリだし、好きです。カルフォルニアについて、わたしにとって、びっくりしたのは車がもっと多いです。ボストンにもニューヨックにもいった事がありますが、車はそんなに多いのは始めて見ました。イーストコーストに、地下鉄「ちかてつ」はとても便利だから、皆は使います。カリフォルニアはどうかなってと今まで考えています。

2013年2月24日日曜日

ベトナムの食文化


世界で多様「たよう」な食文化で知られている国にはベトナムがあります。
ベトナムの料理

ベトナムの料理には、味も色もとても大切ですよ。甘い、辛い、塩辛い、酸っぱい、苦い、その五つ味は五行を表します アジアには、甘いとは「土行」、辛いとは「金行」、塩辛いとは「水行」、酸っぱいとは「木行」、そして苦いとは「火行」を表します。ベトナムに作った食べ物の色もたいてい五つあります。それは緑「みどり」(木行)、赤(火行)、黄色「きいろ」(土行)、黒(金行)、そして、白(水行)です。

ベトナムらしい食事はいつもご飯も汁物「しるもの」もあります。家族は各人「かくじん」ご飯茶碗「ちゃわん」もお箸もありますが、汁物や焼き物などの他の食べ物は大きいどんぶりやお皿から分けられて皆に食べられますよ。食事の時間には、若者は食べる前に父や母などの家族のお年寄り人に「お召し上がり下さい」と言わなければいけません。そして、女の人はたいてい炊飯器「すいはんき」の側「そば」に座って、他の人の茶碗にご飯を盛り「もる」ます。ベトナムには食べ物を他の人にあげるのはたいてい親切な事だと思われますよ。それで、食事の時間に母はいつも私に鳥肉をあげて、それは母の私に恋です。
ベトナム食事の時間に、母は子供に食べ物をあげる。

ベトナム人は毎日朝ご飯を食べた後で、コーヒを飲まなければいけません。それはベトナムの「コーヒの文化」ということです。コーヒはベトナムのプライドと言われていて、ベトナムはコーヒのプロダクションと輸出「ゆしゅつ」で有名です。アメリカのスターバックスのコーヒと違って、ベトナムのコーヒはもっと強烈「きょうれつ」な香り「かおり」も苦い味もあります。たいていベトナム人はコーヒに砂糖「さとう」やクリームなどの代わりに加糖煉乳「かとうれんにゅう」を付け加え「つけくわえる」ます。若者もお年寄りも、お暇「ひま」な時、友達と喫茶店「きっさてん」にコーヒを飲んで色々な事を話しに行きますよ。お年寄りは特にコーヒを飲みながら朝新聞を読む習慣があります。ベトナムのホーチミン市には「公園の喫茶店」という場所があります。あそこは公園だから、いすやテーブルはなくて、皆は地面「じめん」に座って、コーヒを飲みます。「公園の喫茶店」は若者にとても人気がありますよ。皆さん、ホーチミンに行ったら、ぜひあそこに行って見て下さいね。とても楽しいですよ。



「公園の喫茶店」

2013年2月3日日曜日

私の冬休み


この学年の冬休みに、私はニューヨークに友達と行きました。休みの最初の二週間、いとこの家にいました。いとこは、今、医学生で、病院で働いています。私達、仕事の後で、たいていレストランにカツドンも 韓国の料理も食べに行きました。

ある日には、ロンの友達を訪ねました。彼は今コロンビア大学の二年生で、コロンビアを案内してくれました。そして、私達、メットという美術館を見学した。あそこには、色々な年代と世界の文化から美術の絵画「かいが」や写真や遺産などがあって、すごかった。ブルックリン哲学「てつがく」や政治や宗教「しゅうきょう」などの事を話して、夕食を食べました。

クリスマスの日、いとこでチェルシーという市場に行って、ロブスターを食べたりルートビア飲んだりしました。その時、ロブスターを食べるのは私の初めてで、すごくうまかったです。

元日「かんじつ」の後に、ハミルトンの卒業生に会って、色々なフィナンスの求職「きゅうしょく」についてのを教えてもらいました。それは、大学を卒業した後で、ファイナンスの会社で働くつもりだから。

冬休みはとても楽しくて、色々な面白い人々に会いました。ニューヨークはすばらしい都市だから、将来に早く戻りたいな。

2012年12月16日日曜日

高校の経験


二年前アメリカに留学し始めました。高校の時、オールバニ (ニューヨーク州)にあるエマ・ウィラードという全寮制「ぜんりょうせい」の学校で勉強しました。11年生な時、英語の文学とアメリカの歴史と数学と物理と世界の政治をとりました。12年生な時、英語の文学と数学もとって、化学と世界の歴史とアフリカの歴史と南アメリカの歴史を勉強しました。エマ・ウィラードの歴史先生の教え方はよく面白くて、私は歴史が好きになりました。歴史を勉強しているのは、色々な文化から人々と親しくなるのと同じです。私にとって歴史は物語ようです。そして、歴史を勉強する時に、イベントとトレンドを連結「れんけつ」しなければなりませんよ。

エマ・ウィラードに、友達はボリビアや日本やタイやロシアやサウジアラビアなどの世界の色々な国からきました。私の親友「しんゆう」はアフガニスタンから来ました。他の親友はレズです。友達に色々な命「いのち」の事を教えてくれました。週末には、いつも色々な面白い事を遺書にしていました。それはデパートに行ったり、買い物をしたり、レストランに食べに行ったり、料理を作ったり、映画を見たりしていたという事です。

私の親友はもう一人がいました。その人は私の物理の先生、バックリー先生です。先生は今年多分55歳で、物理と天文学「てんもんがく」が大好きです。自然が好きだから、お暇「ひま」なときにはたいていハイキングに行きます。そして、色々国の料理が好きで、時々私に外国のレストランに連れて行ってくれました。毎土曜日には、私達一緒に朝食を食べて、映画や物理や旅行などの事を話しました。今までも、先生によく電話とメールで連絡します。

私の高校の経験はすごく楽しくて、アメリカに留学するのは本当によかった。

私の家族


私の家族は父と母と私がいます。父は今年74歳で、退職「たいしょく」しています。父の趣味「しゅみ」は庭弄り「にわいじり」です。前は私達他の市外「しがい」にある家に住んでいました。その家に大きな庭があって、色々な野菜や花などの植物がありました。父は毎日早く起きて、木に水をやりました。でも私は留学した後で、家族は都会に引っ越しました。新しい家は五階があって、すごく狭い「せまい」で、庭がありません。父は悲しくなりました。今は毎日まだ早く起きて、木に水をやらなくて、公園で走って、家に戻った後で新聞を読みますよ。

母は今年55歳で、母も退職しています。母の趣味は料理する事です。家にいれば、いつでも台所「だいどころ」にいます。私の母が作った料理は炒められる鳥肉「とりにく」です。暇「ひま」な時には、母はいつも料理の本を読みます。そして、母は昔のベトナムの音楽が大好きです。でも、私、その音楽が全然聞けませんな。アメリカのポップだけが好きだから。

留学する前には、私達、毎日一緒にご飯「ごはん」を食べたり、コーヒを飲んだり、色々なこの日の新聞の事を話したりしていました。よく楽しい話でした。今、私、アメリカに留学していますが、その話がまだ忘れられません。家族はそばにいなくてさびしいですよ。未来にベトナムに戻るかどうかはまだ分かりません。でも、家族にいつでも会いたい